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MEDIA

2018年3月11日 ブライダル産業新聞 第1011号に掲載されました

ブライダル産業新聞 2018年3月11日 ★第1011号★

キュメンタリー映画を作成 結婚式が持つ可能性と復興を発信

ハセガワエスティ 代表取締役社長 阿久津五代子氏

「ドレスが着たい」という新婦の夢を叶える
東日本大震災の傷跡を癒すサプライズ結婚式

表紙 No1011.jpg

掲載記事はこちら


2018.03.19

映画「OFUKU-LOSE WAY」 カンヌ国際映画祭 ショートフィルムコーナー 3年連続入選!

1作目 「OFUKU」 2作目「OFUKU MOTHER」に続き、
カンヌ国際映画祭 ショートフィルムコーナーに3作目「OFUKU-LOSE WAY」3年連続入選致しました!!

OFUKU3 MEDIA.jpg

今回3作目となる「OFUKU LOSEWAY」は、OFUKUが物語を回想しながら全編を語っていく。
自らの過去と主人公の苦境を重ね合わせ笑いのエスプリで救いへと導いていく映画となっています。

「OFUKU」、「OFUKU MOTHER」は、2016年・2017年カンヌ映画祭ショートフィルムコーナーで選出され正式上映!
■「OFUKU」 2017年チェルシー映画祭審査員特別賞を受賞

企画制作:株式会社エスティビジョン
総合プロデューサー:阿久津五代子
提供:HASEGAWA S.T

監督:小原悠人 撮影編集:西川洋人  録音:大窪崇人
音楽:藤井和幸 
出演:奥山しげる、なみひらかあい、高田のどか
翻訳:PAUL/長谷川藍杏

2018.02.05

2018年1月25日 ウエコレ vol.55 に掲載されました。

ウエコレ表紙.jpg

⇒掲載記事はこちら(pdf)

「スカイウェディング羽田」
ゲストも感激の希少なステージ!
世界とつながる場所、羽田空港ウェディング!

30mのパノラマに広がる窓から望む迫力の絶景!

羽田空港の展望台と同じフロアにある「スカイウェディング羽田」は、目の前に広大な滑走路の眺めが広がる特別なステージ。少人数から180名までの大人数にも対応可能なパーティ会場からは飛行機だけでなく、晴天の日には富士山も望め、ナイトウェディングなら滑走路の誘導灯が煌めく幻想的な雰囲気も楽しめる。空港や飛行機をモチーフにしたオリジナルアイテムのほか、おもてなしの料理にも定評があり、会場隣接のキッチンで作る出来立ての味わいが至福のひと時へと誘う。事前予約で試食も可

2018.02.01

2018年1月15日 月刊アレコレ vol.150 に掲載されました

★きものびと OFUKU-お福/長谷川高士★

(株)スタジオ 月間アレコレ vol.150 表紙.jpg
⇒掲載はこちら(PDF)


お福/長谷川高士さん(株式会社ハセガワエスティ 代表取締役会長)

本業は結婚総合プロデュースの会社の会長で、有名人からも数多く声がかかるカリスマ的なMCの長谷川さん。その紆余曲折の半生を「OFUKU」を通じて伺いました。

■ お福との出会い
 「お福OFUKU」って何者?と聞かれます。女装趣味? オカマ? 芸人? お福は江戸時代から時を越えてやってきた、人々に福を運ぶ幸運の象徴(シンボル)なんです。な〜に言ってるの?と思いますよね(笑)。でも「お福」は企画や計算で生まれたキャラクターではないんです。

 発端は25年以上前、僕が28歳のときです。芝居をやっていたときに使っていた衣装が家にあり、それをふと見た時、ほんとうに突然なのですが、(いまの)お福の姿になってみようという考えが、降って湧いたように私の中に生まれたんです。数日考えてではなく、一瞬で思い立って実行しました。

 実は当時、僕は人生のどん底でした。でも現実逃避ともちょっと違う。女装癖があったわけでもありません。いまでも不思議ですが、きものを着て鬘を着けて白塗りをして「どこかに出かけよう」と、千葉から電車に乗って銀座四丁目に降り立ちました。周囲はびっくりしたでしょうね〜(笑)。そこで若い女性に声をかけられて、話をして、一緒にお茶まで飲んだのです。「次はいつ来るんですか?」と聞かれて、こんな自分が肯定されたの?と、驚きでした。僕もですが、その女性も楽しいと思ってくれたようです。背負っていたものが、"そのとき"は振り切れていました。"背負っていたもの"というのは......僕はそのとき20億の負債を抱えていたんです。

■ 20億の負債をかかえた二十代
 家は明治から100年以上続く家具屋でした。日本が和から洋の生活様式に転換した時期に合わせて洋家具を早くから取扱い、第一種大規模店舗の店は大繁盛していました。小さい頃から跡継ぎとして周囲に可愛がられて、恵まれた環境で育ちました。

 一人っ子だった僕は母親っ子で、いまでもその記憶が鮮明です。心臓病を患っていて病弱だった母は別な部屋で寝ていたのですが、いつも父と一緒の布団を抜け出して、母の布団に潜り込むような子どもでした。その母が6歳の時に亡くなりました。
 
 自分を一番愛してくれる人が亡くなり、周囲は可愛がってくれるけれど、やはり僕は彼らにとって一番目じゃないというのは子供心にもわかった。だからでしょうね、何かをしてみんなが笑ってくれたり、喜んでくれたりするとうれしかった。いまにして思うと僕の、「お福」の根底に流れる精神はここが端緒かなと思います。

 店の繁盛は続き、やがてあのバブル期に突入します。うちの会社もなまじ資金があるばかりに株や土地に投資するようになりました。毎日株屋から電話があり、今日は1千万円、2千万円儲かったという報告を聞くと、人間、感覚がおかしくなりますよね。夢のようだったバブルは、結局悪夢でしかなかった。大学を卒業して他社で修行し、26歳で3代目として戻ってから、あれよあれよという間のバブル崩壊で、気づけば28歳にして連帯保証人として20億の負債を背負っていたのです。

■転機
 店は廃業、とにかく働かなければならない。学生時代の経験から(結婚式などの)司会者の育成講座を受講しました。そのときに、いま4社から成るSTグループを共同経営している、元妻の阿久津と出会ったんです。講師だった彼女に言わせると、僕は「太っているけど貧乏感が漂っていた」(笑)。ときどき「お福」になることも知っていたし、負債があることも知っていました。当然ながら向こうの両親は結婚に大反対でしたが、彼女は僕となら「何かできるんじゃないか」と、思ってくれていたようです。結婚式の翌日に妊娠がわかって、2人での独立を決めました。自分たちで仕事を管理できる環境でなければ子育ては難しい、という判断からです。

 独立の挨拶を得意先にしに行ったとき、「新しいウェディングの会場を作る」から2人でやってくれないかと、専属契約のオファーをいただいたのです。第二次ベビーブーム世代の結婚時期と合致したこと、オリジナルウェディングに先鞭をつけたこともあり、新しい会社の仕事は右肩上がりでした。

 ところが仕事が起動に乗った頃に、忙しさもあり、夫婦として行き違いが出てきて......離婚を切り出されたときは正直とまどいました。結論としては離婚となりましたが、しかし2人の子どものことを考えて離婚後も同居を続け、会社ではビジネスとしてお互いが必要ということで異論がなく、外観的にはなんら変わることはありませんでした。

 その後、彼女は再婚しましたが、週末は子どもたちの面倒を見るために戻っていました。新しい伴侶との間に子どもが授かってからもこちらの家に出入りし、2人の子どもたちには母として接しています。子ども同士も仲が良くて、双方の家族で旅行に行くこともあります。

 世間からみたら理解しがたいかもしれません。でも私たちは世間の尺度で生きているわけではなく、自分たちにとって、つまるところ子どもたちにとってベストな取捨をして、いまに至っているのです。父親の「お福」も含めて(笑)子どもたちはいまの環境をよく理解してくれています。


■新たな「OFUKU」の誕生
 結婚式の司会が主だった会社は、お客様に「喜んでいただく」という理念を軸に、演出、撮影、ひいては結婚総合プロデュースと業務が拡大していきました。幸い私が抱えていた負債も銀行の統廃合で整理されました。

 その過程で「お福」は単に私の趣味ではなく、どんどん自立した存在になっていきました。もちろん会社で通常業務はしていますが、披露宴やパーティでお声がかかるようになり、"福を分かつ"象徴(シンボル)になってきました。僕自身お福になることがとても自然で、ヘンよね〜とは思うんですけど(笑)なにより喜んでもらえるのが一番うれしいんです。どこか、母の懐に還る感覚なのでしょうか......。

 阿久津はこの「OFUKU」が映画を通してさらに存在感のあるキャラクターになりえると考えています。それで制作したのが短編映画「OFUKU」「OFUKU2」です。2016年、2017年とカンヌ国際映画祭ショートムービー部門で入選しました。制作は自社です。業務拡大に連れて、映画が制作できるくらいのスタッフが揃うようになったのです。

阿久津との二人三脚の成果ですが、僕自身、銀座四丁目で「お福」に出会って以降の変化ともいえるので、多くのかたにお福の「福」をおすそ分けしたいと思っています。

2018.01.15

HASEGAWA S.T.GROUPSエスティグループ